【年1回の旅行の日】子供との面会交流(第20回)【横浜1泊2日の旅(後半)】

2日目起床ー。
子供と一緒に迎えるひさびさの朝。やはり子供の寝顔はいいもんだ。癒やされる。
昨日から始まった一泊二日の横浜旅行。今日も元気に楽しもう。

ホテルチェックアウト後、外で朝食をとりオーヴィ横浜へ。

このあたりは前に働いていたオフィスの近くなので懐かしくもあり、その場所を子供と一緒に歩いているという新鮮さも覚える。

オーヴィ横浜は動物と触れあえる施設ということで楽しみだ。
日頃のストレスや寂しさをついでに癒やしてもらおう。

行ってみるとけっこう大きな施設。
動物と触れあえるほか、いくつかのアトラクションもある。

まずは受付でエサ用の野菜スティックを購入。動物エリアへ。
カピバラ、フクロウ、オニオオハシ、カエル、ヘビ、リクガメなどがいてとにかく動物との距離が近い。

カピバラやリクガメに野菜をあげることができ、手の届く距離にいて興奮。
抱きつくこともできる距離だが、カピバラも穏やかな顔して野菜スティックをもっていく力が結構強い。
ソウちゃんも恐る恐るカピバラやエサをあげるが、ムシャムシャと美味しそうに食べる彼らを見てご満悦。

南国産の鳥、オニオオハシなんかもすぐそこにある手すりをピョンピョンと跳ねており、大きなクチバシで突かれるんじゃないかと思うくらい。

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カピバラかわええ

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オモチャみたい・・・てか近すぎ

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普通に足下にいるリクガメ

ソウちゃんも興奮して一通りの動物を見ようと駆け回る。

「フクロウ!!フクロウ!こんなデカいのとこんなちっちゃいの!」
(フクロウ微動だにせず)
「へへ・・・デカいカエルだね~」
「ヘビだ~・・・」
元ヨメ「タランチュラ~」
「あん?・・・見せて~見たことない」
(元ヨメに抱えられ初タランチュラ)
「わーーー!・・・こ・・・こんなデカいクモなんだ!タランチュラ・・・こわいぞタランチュラ」
(今日イチかわええ(^_^;))

そのあとリスやハリネズミと触れ合ったり、インコを腕に乗せたりとたくさん動物たちと触れあったソウちゃん。
いい経験になったかな。

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少し緊張しているのか姿勢が硬いがうれしそう

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人間慣れしているのかどの動物もおとなしい

私もリスは初めて触ったな。
噛むらしく、軍手をした両手をかかげて座ってるだけでしたが、自分の周りを数匹のリスが素早く動き回るという経験はなかなかのもの。

このあとは雪山の気温を体験するなどのちょっとしたアトラクションで時間を潰す。

自分の動き(拍手)に反応する大きなディスプレイがあり、ソウちゃんが親のいるところを離れて待ち時間の間ずっと1人で飽きずにパンパンやっていたのが印象的。

このオーヴィ横浜は行ってみて良かった施設の一つだが、残念ながら2020年12月に閉館している。
時期的にコロナの影響か。この規模の施設で客足が遠のいたら維持はできないだろうな-。
動物たちもいるし。

少し遅いランチへ。
横浜でお好み焼きを食べてからポケモンセンターへ。

子供たちが溢れる店内。お目当てのメザスタをプレイ。(-600円)

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まんなかのポケモンが一番かわいい(親バカ)

ポケモンセンターのあとはどうするか・・・。
決めていなかったが帰りまでまだ時間があるということで元ヨメからカラオケの提案が。

これは予想外の展開。旅行に来るとソウちゃんとカラオケも行けるのか。
元ヨメは何回かカラオケに連れていったことがあるようだが、もちろん私はソウちゃんと行くのは初めて。

ソウはポケモンや忍たま乱太郎などを披露してくれたがこれがまた想像以上にうまい。
ちゃんと音程がとれているのが驚きだったのと、彼は声量があると気付かされた。
腹からちゃんと声が出ていて安定感がある。
なにより4才の小さい体で一生懸命歌っている姿を見て成長に感激。

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旅行の締めはカラオケでした

ここで小さいトラブル発生。
カラオケの後、このまま新横浜駅から新幹線で帰宅すると聞かされたソウちゃん。昨日泊まったホテルに一度戻ると思っていたらしく、風船をホテルに置いてきたままだから取りに行きたいと、日が落ちて暗くなった横浜駅で突然泣きじゃくる。

風船?・・・昨日みなとみらいのワールドポーターズでもらった風船か。
消耗品だしもう空気が抜けてちぢんでいるかもしれないし、第一歩くのに邪魔なのでもってくることはなかっただろうな・・・と思いながらも彼なりに思い入れがあったのだろう。

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朝の1シーン。たしかに風船が・・・

元ヨメに抱えられなだめられながらいつの間にか眠りの世界へ。
最後は笑ってバイバイしたかったが起き出すと面倒とのことでこのまま解散。

最後は少し中途半端な感じになりましたが、ここで一泊二日の横浜旅行も無事終了。
中華街から始まり、コスモワールド、ホテル、動物、ポケモン、カラオケと楽しんでくれたと思う。
私もひさしぶりのみなとみらいを楽しめた。

離婚が成立してから3ヶ月。成立せずにダラダラしていればこの旅行は実現しなかった。
そう考えると割り切れる。これからはこの状態で、ソウちゃんの幸せ、そして自分の幸せを願って行こう。
まだまだこれからの人生を楽しもうとなんとなく希望を感じた2日間だった。

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【年1回の旅行の日】子供との面会交流(第20回)【横浜1泊2日の旅(後半)】” に対して7件のコメントがあります。

  1. 新井宏育 より:

    こんな長い長文を読んでいただきありがとうございます。中々、うまく怒りが消せず、気持ちが不安定になっていました。一貫性がないと信用を無くしてしまいますね、
    今後、出来ることを諦めずに続けていこうと思います。ありがとうございました。

  2. 新井宏育 より:

    もし宜しければ電話で復縁できた経緯をお話しすることは難しいでしょうか。私も都内に勤めているためお会いしても大丈夫です。
    どうぞよろしくお願いします。

    1. enfuku より:

      申し訳ありませんが電話含めお会いすることは難しいです。
      私がこのような相談を生業としていれば別ですが、個人の経験を投稿しているだけの者です。
      お互いが時間をとって面会したとしてそれが有意義な時間となる保証もありません。ご理解ください。

  3. 新井宏育 より:

    かなり長文になりますが、ご一読頂ければ幸いです。下記は離婚調停の前に裁判所と妻に送った陳述書です。今は離婚の意思は相当に固いです。僕も精神的に参ってきてしまい、離婚した方が楽かなと思い始めました。

    1 私と妻は、令和4年2月の婚活パーティーで出会い、4月から付き合い始め、妻が妊娠したため、令和4年11⽉1⽇に婚姻しました。令和5年4⽉21⽇に一人娘の莉彩が産まれました。
    2 妻は花屋に勤める花屋店員であり、一番大きな店舗の店長を務めていました。現在は無職です。私は営業社員です。
    3 結婚した当初、家事全般はお互いに協力をし、円満な結婚⽣活を送っていました。
    時々、価値観の違いで口喧嘩もあり、私が離婚すると発言をした事が何回かありました。
    莉彩が産まれ、令和5年6月より夫婦共に育児休暇を1年間取得し、育児に専念してきました。この頃から少しずつ育児や家事の価値観の違いがあり、喧嘩の頻度も増え、私は妻に何回か離婚すると発言してしまいました。その度に妻に辛い思いと私の価値観や考えを押し付けて来たと思います。それに対して妻は揉め事が嫌いで、自分の思いや考えを抑えていました。今思いますと自分が一番正しい、私の〇〇すべき思考が、妻を苦しめ嫌な思いをさせてきた事をとても申し訳なく思い、猛省しております。
    4 育児休暇終盤の令和6年4月4日に妻の溜まっていた不満が爆発し、私はそれに対して離婚すると発言をしてしまい、3日間家出をしました。家出中に妻から謝罪と育児休暇明けは協力してまたやっていきたいとのラインが送られてきましたが、私はそれを許すことが出来ず受け入れませんでした。妻はそれであれば、実家に帰るとなり令和6年4月22日に妻は子供を連れて実家に帰省しました。私は一時的な帰省だと思っておりましたが、帰省してから2週間後に実家でこれから生活をしていくと連絡があり、完全な別居が始まりました。令和6年5月2日に私は妻の新潟の実家へ行き、謝罪をしましたが、戻る考えは無いと言われました。妻は別居婚を提案してきましたが、私は受け入れられませんでした。私はこんな大事になるとは思ってもいなかった為、家族がもう戻ってこない辛さ、悲しみに明け暮れ、涙も枯れるほど流し、全てを失った喪失感に廃人の様な毎日を過ごしていました。
    5 令和6年5月7日に私は育児休暇から職場復帰をし、仕事が忙しかったためか、辛かった気持ちが少しだけ落ち着いてきました。その時に妻のもう戻って来ないと決心が固いのであれば、別居していても離婚状態と同じであると考えが強くなり、令和6年6月28日に妻に離婚を切り出しました。妻は納得しましたが、私は自分から離婚を切り出したものの家族と縁を切っていいのか?やはりこの世で一番大切な家族を諦められないと複雑な心境の毎日となり、妻にやはり離婚は出来ないと撤回をしました。
    この頃から離婚について妻は離婚を決心して、具体的に考え始めてきたと感じています。
    離婚が現実的になってきて、私の心は相当に複雑になり、妻に対して嫌な事を言ったり恨みつらみを言ったり、自分でも正常な判断が出来なくなっていたと思います。
    6 妻は日が進むごとに離婚に関しての養育費、面会交流の事を話していきたいと急ぐような感じになってきました。対して私は離婚をどうしても受け入れられず、更に精神的におかしくなっていたと思います。二人で離婚について話しても話し合いにならない為、令和6年10月19日に私の母に仲介に入ってもらい、3人での話し合いを行いましたが、最終的に合意に至らず、妻は第三者の方を通して話し合いたいとの事で、離婚調停を申立てるに至ります。離婚調停を申し立てられてから、一人で今までの事を振り返る思考に変わっていきました。離婚を迫られる事がこんなに辛く厳しい事だと自分自身が実感し、妻に離婚と言っていた自分は最低な人間だと感じています。妻に何と謝ったらと考えると言葉が見つかりません。
    7 私は、夫婦関係が悪化した原因は、夫婦揃っての育児休暇が原因だと思っています。24時間365日二人で、育児と家事をしてきましたが、一緒に居すぎた事が些細な事での喧嘩や言い争いの原因になっていたと思います。また、私は会社にとても無理を言って、育児休暇を一年間所得したため、復帰後の不安と焦りを毎日考え込んでいました。仕事の不安と慣れない育児に戸惑う中でのストレスが、妻に対して態度となって表れてしまったと強く感じ、妻に対してとても申し訳なかった気持ちと夫婦関係が悪化したのは、全て自分が悪かったと猛省しております。妻は真面目でいつも明るく元気で自慢の妻です。妻と出会ってからの思い出や家族となってからの思い出を終わらせたくない、離婚はしたくないの一心です。
    8 妻や子供の物を見るだけで、涙が止まらくなり、3人で行った場所を歩くだけで、涙が自然に出てきてしまい、これからの夢も希望も生きていく糧を全て無くしてしまいました。10キロ近く体重も減りました。土日の休日も何もする気にならず、家族の事をぼーっと考えて休日が終わります。妻と初めて食事をした事、新婚旅行、妊娠してから出産までの思い出(2カ月の早産でした)、子供が生まれてから毎日二人で子供の面会に行ったこと、安いスーパーを二人で探したこと、子供が初めて笑った事、一年間ずっと一緒だった為に思い出が数えきれないほどあります。私が希望するのは、もう一度修復のチャンスを与えて欲しい、どうか私から子供を取りあげないで欲しい、父親の愛情を一生与えてあげたい、もう一度家族揃って生活したいと毎日考えています。修復の為なら自分の命を落としても構わないですし、家族を守りたい、何でもしたいと思っています。自分は家族がいないと何も出来ない無力な人間だととても感じました。家族あっての自分だと強く思います。
    やはり私が母子家庭で育った為、子供の心情が心配です。父親がいないと母の事を子供は大丈夫だろうかと常に心配をしますし、父親がいないとどこか後ろめたさを感じます。
    母と衝突した時、子供にとって頼れるのは父親だけなのです。父親だけにしか相談できない事もあります。また、父親のいる友達の事をうらやましいと常に感じると思います。
    今は、妻の両親は元気ですが、10年後は介護と子育ての毎日になります。また、糸魚川市は保育園や学校が少なく、遊ぶところや買い物する場所もスーパーくらいしかありません。自然が多く、たまに行くのはとても環境の良い場所ですが、様々な面で選択肢がほとんどなく、教育面、就職口にとても妻と子供の生活に不安があります。その点、川口であれば、保育園も数えきれない程あり、買い物する場所にも困りません。
    こういった事も離婚できない原因の一つでもあります。それを踏まえて、修復のために私に何が出来るのかを何をどの様に変えていくのか案を下記に明記します。
    【修復のための条件】
    ・自分が一番正しい、○○すべき思考を無くし、自分の考えを押し付けず、妻の意見を尊重する事。現在、アンガーマネジメントの講習を受けています。
    ・家事育児の考えは妻の考えを第一優先にし、私はサポート役に徹する。妻の考えや
    意見に服従する事。
    ・例え喧嘩をしても、年上の私が折れて謝る事。遅くても二日以内に喧嘩は終了する。
    ・離婚するとは二度と言わない事。実際に私は離婚する勇気がありません。
    ・これまで生活費は折半でしたが、私の給料を全て生活費にする。
    ・私が子供の保育園の送り迎えをする。また子供の前では怒らない。
    ・土日は私が子供の面倒をみる事。週末は私が子供と過ごしたい。趣味であるバイクは売る予定です。
    ・お互いに言いたい事や考えは、必ず落ち着いて話す事。同時に交換日記を毎日実施する事。
    ・他人ともめない事と店員への態度を普通にする事。
    ・母に優しく接する事。今回の離婚の話で心配してくれたのは母だけでした。これからやはり親孝行をしていきたいと思います。
    自分の今までの考えや行動は間違えだったんだと深く反省し、家族から愛される人間に生まれ変わりたいと思います。
    上記の約束事が守れなかった場合には一つの事項につき、妻に罰金100万円を支払う事としたいと考えています。また上記事項を公正証書にしたく思います。
    2

    1. enfuku より:

      コメントありがとうございます。全部読ませていただきました。
      私の当時の状況と似ていたので自分のことのように感じました。
      奥様とお子様を手放したくない気持ち、離れたところでうまく生活できているか心配される気持ちなどすごく分かります。

      今後については奥様がどう考えているか、どうされるかが大きいかと思います。
      そしてお子様含めた3人にとって必ずしもベストな選択をされないかもしれません。
      ですが、決してそれを責めず、難しいかもしれませんが少しでも寄り添ってあげていただきたいです。
      婚姻継続をまだあきらめる段階ではないと思いますが、相手がいる話なので覚悟も必要です。

      読ませていただいて一つ感じたのは、奥様への話には一貫性をもたせてください。
      離婚をほのめかしたり、離婚を嫌がったりするのは相手から見ると信頼が置けない行為です。
      「修復のための条件」についても、できない約束はしないほうがいいです。
      二日以内に喧嘩を終了させるや罰金100万円などは自分へのストレスにもなりますし、仮に100万円支払った後、夫婦関係が良好に保てるとは思えません。

      簡単ではありますが参考にしていただければ幸いです。

  4. ひろ88 より:

    はじめまして。
    復縁日記を全て読ませて頂きました。
    うちは嫁が娘を連れて実家に帰り、11ヶ月目になります。離婚調停中で、来月不成立で終わる予定です。
    一回目の同居再開までかなり我慢して奥さまの言うとおりにされてきたと思いますが、どの様にすれば離婚の意思が軟化していくのでしょうか。ぜひアドバイスをお願いしたいです。
    僕は嫁が出ていった事をかなり責めてしまい、恨み辛みをかなり妻に対して言ってしまいました。それが離婚の意思を固めたのかなと思っています。

    1. enfuku より:

      コメントありがとうございます。

      お子様と離れて11ヶ月ということでとてもお辛い状況かと思います。
      経緯はどうあれ奥様も理由があり出ていかれたのだと思いますので、強く責めることは避けたほうがいいです。
      私も2回経験しているので相手を責めたい気持ちは嫌というほど分かりますが。

      奥様は出ていかれましたが、その時点で投稿者様への失望やあきらめの気持ちがあります。
      軟化については、まだこちらへの好意がわずかにでも残っている前提ですが、なにが悪かったのかを自己分析し、改善点を丁寧に、簡潔に、明確に相手に伝えていくしかありません。
      この改善点が相手に響けば軟化へ繋がると思いますが、これが的外れだとやっぱり分かっていないとさらに失望されます。
      改善点の申し入れすら拒絶される場合は時間をおくことも大事かと思います。

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