復縁したいけど別居57日目・・・自分の考えとどうするべきかを伝える③
また続きです。
<ヨメの不満その10> ヨメに手をあげてしまったことについて
ヨメに手をあげてしまったことが別居のきっかけになりました・・・。
理由はどうあれやってはいけないことだと思います。
今までにもケンカの際に得意先への年賀状の束を投げられたこと、ヨメが暴れて家のものが壊れそうなときにも、ついカッとなって手が出てしまいました。
ヨメは感情的になると物にあたります。物を投げたり、ドアを思いっきり閉めたり、これは良くありません。その度に勘弁してくれ!という思いでした。
その行為は許しがたいのですが、相手がそういう行動をするのも原因があります。それと向き合おうとしていたのか、ヨメの考え方や気持ちをもっと理解してあげるべきだったと思います。
そのときは感情的になってしまいましたが、相手には想像以上の恐怖、悔しさがあったと思います。
感情的になりそうなときには数秒おいて自分を俯瞰しようと思います。
自分はおかしなことをしていないか、相手の言い分はなんなのかを客観的に見るよう意識をします。
イライラしたときにはこのように考えることを習慣づけ、自分を落ち着かせてから相手の言い分を聞くようにします。
人間だからお互いに感情的にぶつかるときはあります。
そういうときはヨメも含めてお互いにこれを実践していきたいです。
ヨメもすぐに感情的になるほうなので、2人が穏やかに過ごすためにも、これを実践してほしいです。
<ヨメの不満その11> ヨメの体調や子供の月齢を考えず連れ回す
自分的にはまったくこんなつもりはなかったんですが・・・。
子供が生まれて生後2ヶ月でレンタカーを借りて湘南にドライブに行ったことがあります。
私は海が好きなので子供に海を見せたいという親心のつもりでしたが、ヨメは生後間もない赤ん坊を車に乗せて長時間移動させることに不満をもっていたようです。
渋々という感じは伝わっていましたがそこまで嫌がっているとは思いませんでした。
結果的に夏の湘南は大渋滞、夕方にやっと到着しましたが子供はスヤスヤ寝ており海はお預けとなりました(=_=)
また、生後半年ではじめて私の実家に帰省するとき、確かヨメが体調が悪いから行けないかもと言ったのがきっかけで大ゲンカしました。
子供が生まれて間もないことや新幹線の長距離移動を理由に、私の実家へはまだ子供を連れていけていませんでした。
父は東京にきて何度か孫を見ていますが、母は病気なので実家を離れられません。
そういう事情を知っているにも関わらず、そのような発言に許せない思いがありました。
しかもヨメは自分の実家には何回か子供を連れて帰省しているのです。
(新幹線で1時間弱はかかりますが、私の実家より近いという理由で)
しかし海の件もそうですが、私が赤ん坊に対する知識がなかったかもしれませんし、自分が強く行きたい気持ちを優先し、ヨメの助言や不安を聞き流していたかもしれません。
ヨメの立場や小さな子供を抱えての旅行への不安、夫の実家での振る舞いの気苦労などまったく気にかけていませんでした。
当たり前のようにいつもと変わらず、むしろ気遣いなく行動していたことは申し訳なかったです。
言葉だけでも相手の不安を気遣うような発言があればまた違ったかもしれません。
帰省できないかもと言われ、子供の前で取り乱してしまったことは申し訳なかったと思っています。
そもそもヨメが結婚前から、病気である母によくしてくれていたこと(話しかけてくれたり、プレゼントを贈ってくれたり)はすごく感謝しています。
母もいい人と結婚したと思っているのではないでしょうか。
母は病気で意志の疎通ができなくなっていました。
自分が激情した背景もヨメに分かってほしいと思います。
母は天然で優しい人でした。
父は厳しいですが私の大学入学後は手が離れたと思ったのか丸くなり、実家は居心地いいものでした。
私が30才手前頃から母は結婚を催促するようになり、当時つきあっていた女性を連れていきましたが、結果的に結婚へは至らなかったので残念がっていました。
その頃、母方の祖父がなくなり(祖母は既に他界)、愛犬が死んでしまい、それが原因ではないかもしれませんが、様子が少しずつ変わっていったんです。
洗い物をしたあと部屋に閉じこもるようになり、料理の失敗、自分の年が分からない、毎日毎日同じスーパーに買い物にいくなどの症状があり、最終的に「失語症」と診断されました。
言葉が理解できなくなるのでしょうか。話すこと、聞くこと、書くこともできなくなりました。
1人でトイレに行けない、着替えられないなどアルツハイマーの症状にも少し似ています。
自分の母親がまさかと、ものすごくショックでした。
結婚式に出席してもらい、孫の顔を見せ、新居に遊びにきてもらい、子供のイベントに顔を出し、帰省時には一緒に食事をしたりと、そんな未来が当たり前に来ると思っていました。
でも治らないと言われ、そういう未来がくることはありませんでした。
この頃が私も一番辛かったですね・・・。
数年たつと病気のせいで顔の表情もなくなり別人のようになりました。
でも私が帰省すると嬉しそうに涙ぐんで笑ってくれるんです。
私の名前は覚えているようでした。
ヨメと結婚して元気な男の子が生まれました。
ヨメにはこの点でものすごく感謝しています。
子供の顔をみせたら母がどんな反応をするのか、喜ぶのか、自分の孫と分かってくれるのか、すごく楽しみでした。
だから一刻も早く会わせたかったんです。
結果的には大ゲンカの後、家族3人で帰省が実現しました。
孫と母の対面後、2ヶ月後に母は他界しました。
一度でも会わせられてよかったと思います。
母のために地元で挙げた2回目の結婚式も、ヨメには前向きに企画、手続きしてもらい本当に感謝しています。
<ヨメの不満その12> 東京に戻った場合の家計やりくり
別居したタイミングでヨメは仕事を辞めました。
仮に東京に戻ってきたとしてもすぐの共働きはできず、将来も含めた経済状況をヨメは心配しています。
これに私は自分の小遣いを減らすことを提案しました。
モチベーション低下は否めませんが背に腹は変えられない思いです。
また、家に仕事は持ち込まず、サービス残業を家事育児より優先しないことを誓いました。
将来的なことはこれから2人で話し合い、子供が幼稚園までは専業主婦でいることを提案するつもりです。
以上ですが、本当は会って話したい内容です。
ですが、ヨメはLINEで確認する気満々なので、今夜LINEで送りました。
かなりの長文です。
しばらくして既読になりましたが・・・反応はなしです。